長嶋茂雄の野球魂:侍ジャパンと五輪への情熱
長嶋茂雄氏が侍ジャパンと五輪に注いだ情熱とその遺産を振り返る。

長嶋茂雄の野球への情熱
長嶋茂雄氏は、2001年にプロ野球巨人の監督を退任後、五輪への並々ならぬ思いを燃やしました。2000年シドニー五輪では、プロとアマチュアの合同チームで挑みながらも、史上初めてメダルを逃しました。その後、2002年に野球日本代表の強化本部長に就任し、2004年アテネ五輪に向けた監督として、プロによる「ドリームチーム」の編成に着手しました。
アマチュア野球への貢献
1980年代初頭にキューバを視察していた長嶋氏は、日本代表に関わるようになると、大学の代表チームの視察や激励にも積極的に訪れました。強化副本部長として支えた山中正竹氏(78)は、「国際的なスケールがあり、アマチュアを大事にしてくれた」と振り返りました。
五輪への夢と挫折
しかし、病に倒れ、五輪本番は指揮を執ることができませんでした。1992年バルセロナ五輪で日本を銅メダルに導いた山中氏は、「日本代表の監督というポジションを一番望んでいた。直前でその夢が絶たれ、ショックだったと思う」と述べました。
東京五輪での復活
長嶋氏は、3大会ぶりに野球が復活した2021年東京五輪で聖火ランナーを務め、日本が1次リーグ首位通過を決めたメキシコ戦を観戦しました。日本は正式競技として初めて金メダルを獲得しました。東京五輪で侍ジャパンの強化本部長を務めた山中氏は、「華やかな場所が似合う」と故人をしのびました。